「これまでと、これから」

大井 薫(2007年卒業)
横浜市役所勤務



 私は2007年に建築学科を卒業し、その後芝浦工業大学大学院に進みました。卒業してから「もう5年、まだ5年」という想いで振り返りながら、当時のことを書かせていただきます。
 学部生のはじめの2年間は大宮校舎で過ごし、学部3年になり田町校舎、そして2006年からは新しい豊洲校舎へ。と、三つの校舎を経験できた学生はあまり多くないのではないでしょうか。どの校舎でも、設計課題をかかえて夜通し過ごすことも度々。しんとした夜の校舎、静かに動き始める早朝の校舎、そして終わらぬ課題…懐かしく思い出されます。今では田町校舎が建て替えられ、また、以前は空き地が目立っていた豊洲校舎の周辺も賑わいが生まれているようで、卒業してから時間が経っていることを実感します。
 広い大宮校舎でのびのびと過ごし新たな気持ちで向かった田町校舎では、それまでの「建築とは」を学んだ二年間とは異なり、建築を学ぶものとして「何を究めたいのか」ということを考える一年を過ごしました。三年生の後半には先輩方の卒業研究のお手伝いをさせていただく機会があり、これをきっかけに、南一誠教授の研究室に三年間所属することとなりました。私が研究のテーマとしたのは、公的賃貸住宅団地での長期居住履歴の実態で、ある思想のもとに設計・建設された住まいが、ライフステージに応じた間取りの変更や経年による改修など、長期居住の中でどのように住まわれているのかを調査研究しました。先輩の研究から自身の研究、さらに企業の調査研究の学生スタッフとして、多くの住宅の調査に関わらせていただきました。調査手法は直接お住まいにうかがってご協力をいただくフィールドワークを基本とし、住まい手の生の声を聴くという貴重な研究の場となりました。
 また、その3年間は自分の研究テーマだけにとらわれず、仲間の研究の手伝いや、学会等の講演会、施設改修現場の見学会など興味のあることには積極的に参加しました。学生が各自の研究の進捗状況などを報告しあうゼミでは、自分の研究に集中しすぎたあたまをほぐして視野を広げることができました。発表を聞きながらメモをしていた当時のノートを読み返してみても、団地再生、インフィル改修、都市空間、ストックマネジメント、心理、照明、教育、高齢者など、いろいろなキーワードが並んでいます。これは、南研究室ならではの魅力であったと感じています。
 現在は、地元の市役所に入庁し、日々様々な業務と向き合っています。建築という専門職ではありますが、常に関連することがらとの関係性を把握する視点が求められます。学生時代に培った視野を広く常に好奇心を、というバランス感覚を生かし、まだまだ未熟ではありますが、この分野なら社会に貢献できると胸を張れる日が来るよう精進していきたいと思います。

「建築学科設立60周年に寄せて」

蒲谷 俊樹(2008年卒)
国土交通省勤務



2004年4月、芝浦工業大学の門をくぐり建築学科での学生生活が始まりました。その当時、豊洲キャンパスの建設が始まっており、工事の進捗と自分の成長とを重ねていたことをよく覚えています。 入学式では、建築を学びたいという共通の志を持って集まった友人たちに出会いました。顧みれば、この友人たちと四年間、ともに学び、笑い、切磋琢磨しあうことができたからこそ、学生生活はもちろんのこと、勉学、研究などが充実したものになったと感じております。
年次が経つにつれて、課題が増えていき、日に日に図面や模型が山積みになり、製図室に泊まる日も多くなってきました。一方で、建築というものに対する知識が得られ、次第にその面白さ、社会貢献に寄与できることを知ることができ、建築という分野に対する漠然とした興味から仕事として携わりたいという夢へと変わりました。特に3年次からの南一誠先生の研究室において、現在注目されている環状二号線(通称:マッカーサー道路)整備の計画について研究することになり、地元の方々とのやり取りなどを通じて、都市と建物のあり方について考えるきっかけとなりました。
この影響を大きく受け、現在、私は国土交通省において、国家機関の建築物の整備に関する業務を行っています。国土交通省に入省した理由としては、社会基盤整備を通じて国民の「豊かさ」と「安心」を実現させることなどを理念として掲げており、国土づくり・まちづくりといった広い視野からより良い建物の実現ができると考えたからです。
私達の国には、東日本大震災からの復興加速、防災・減災等国民の安全・安心の確保、最近では地方の創生など、数多くの課題に直面しておりますが、建築という手段を用いて、ひとつでも多くの課題を克服し、より良い社会、より多くの人の豊かさ、安心の実現を目指して日々業務に励んでおります。
就職し社会に出てみますと、国土交通省に限らず数多くの先輩後輩がご活躍されていることを知ります。そして、お会いするたびに、しっかりとした技術力の裏づけの下で判断し行動する、すばらしい人材であると感じます。そういう意味では他校を卒業された方よりバランス感覚に秀でていると思います。芝浦工業大学には、今後もそのような人材を輩出し続けていただきたいと思います。
私も設立60年間という長い歴史を持つ建築学科の卒業生の一人としての自覚と責任を持ち、日々研鑽を積み、社会に貢献していきたいと思います。

「建築の領域の広さと大学時代の友人」

山口 泉(2008年卒)
清水建設株式会社勤務



 大学時代に勉強したことは、建築の基礎となるものであり、私の地盤を築くものでした。なにより、建築に限らず他学科の友人を得られたことは、大学ならではの特別なことだったと思います。芝浦工業大学には機械や情報、材料、電気電子、医療先端技術に至るまで多様な研究室があり、学生たちは日々青春の汗と涙を費やし研究を行っています。大宮や豊洲の教室で自分と席を並べていた彼らも、大学を卒業し、専門分野のスペシャリストとして活躍しています。そして今、彼らと当時より専門的な話が出来ることを嬉しく思います。
 建築の仕事はありとあらゆる分野にわたって専門的な知識が求められます。電気、空調、衛生その他設備、自家発電や防災、インフラ、それに関連する情報システム、病院建築では医療技術に求められる性能があり、工場では特殊なラインや技術があります。建物は、使う人の要求と建築に関連するすべての技術と知識が集結されて完成されます。その高度な要求に応え、新しい提案をするためにはプロの意見を聞くことが欠かせません。オトナになってからの、各領域のスペシャリストと付き合いは、戦いのレベルが非常に高く、時に難しさを感じます。しかし、学生時代の友達はいくつになっても友達です。仕事でも、いつだって助けてくれます。だから、私自身も専門的な知識を誰かに訊ねられたとき、満足に応えられる存在でありたいと思います。
 私は大学院1年生のとき、大学の国際交流プログラムを通じてイタリア ラクイラ大学に留学をしました。当時の研究のテーマは「長寿命建築と都市と文化の歴史について」でした。南先生の授業のなかで、生命のように長く息づく都市に魅力を感じたからです。かつてのスクラップアンドビルドの時代は過去となり、今の日本では100年品質などとも謳われています。しかし、物理的に建物が立ち続けることと、それを使い続けることはまた別の問題です。また、古い都市には現代の生活とのギャップや不都合さもあります。本当の意味での長寿命建築とは何かを求めて、研究をしました。当時の研究は今も私の軸となっています。
 (留学に行く前、南先生から出された宿題は「一生付き合える友人をつくること」でした。)
 わたしはいま、施工管理という「建物をどうやって造るか」を考える仕事をしています。これはとても頭を使います。職人に任せたら、彼らもプロですから、それなりに形になるかもしれない。だけど、そのプロセスを考えるのはわたしたちの仕事であり、施工計画こそが私たちプロの腕の見せ所です。そして、フィールドは日本に限らず世界に広がって行きます。毎日ダイナミックに変化する現場に私は魅せられています。
最後に、芝浦工業大学で建築を勉強したひとは、どの学年、世代であっても仲間だと思います。
だから、いつかどこか建築の世界で出会ったときには一緒にいい仕事をしたいと願います。

http://www.nikkenren.com/publication/ACe/ce/ace1509/pdf/ACe1509-18-22.pdf